津市長
前葉 泰幸 氏 インタビュー
津市のご自慢は?
津市長前葉 泰幸 氏
平成18年、10の市町村が合併し津市は伊勢湾から奈良県境まで三重県のど真ん中を東西に貫く形になった。伊勢湾側は北から南にかけて10万人以上の都市が連なっている。それぞれ都市機能が集約しているので都市間競争が起こる。津市は大昔は紡績業、その後、井村屋やおやつカンパニーのような食品、次いでホンダなどの輸送機械が入って、パナソニックなども加わり精密機械の工場が増え、産業を積み重ねてきた地域だ。昭和44年、津の海に日本鋼管(現ジャパンマリンユナイテッド)の造船所ができたのはひとつの区切りだった。一方、中山間部は津市の7分の4を占め、農業などが盛ん。バランスの取れた地だと思う。工業団地は臨海型だったが平成に入って中勢バイパスとか高速道路沿いに広がり、中勢北部サイエンスシティを中心に企業誘致は順調に進んでいる。ただ、農地は優良農地が多く、農地法の関係で大きな土地があるからと言って簡単に開発はできない。
産業に恵まれているという話に加えて歴史にも触れたい。街道は伊勢神宮のお参り客でにぎわい、津市の旧市町村を走る街道も多くの人が行き来し、商いが発展した。商いをするためには商品を作らなければならない。職人たちがたくましく工夫していった。津市は明治22年4月に名古屋市よりも早く市制施行になった。この時の条件が、人口2万5000人以上で、財力があることだった。明治22年に市政施行されたのは、やはり地元の資力が強かったのだろう。令和元年、津市は市制130周年を迎え、市町村合併した久居市は令和2年に50周年を迎えた。このように江戸時代から続いた街をさらに発展させていく。
農業や食については?
河芸町に黒田米というブランド米がある。水がよく、寒暖の差が激しいのが幸いし、とてもおいしい米だ。松阪牛の生産は市内で多く手掛けられ、養豚、養鶏もしている。ほかに久居の梨、一志のキャベツやイチゴ、山間部の方では美杉や芸濃のお茶など、農産品もダイナミックに展開している。
合併前の津市はウナギの一人当たりの消費量が日本一だったこともある。昔は養鰻池があり、大正時代に上方へ出荷していた。ウナギを食べる文化がこの地では市民生活に定着し、現在は市内にウナギを味わえる店が18軒ある。おいしくて東京の半値というのが魅力だ。
レスリングの吉田沙保里さんの出身地とうかがっているが・・・
沙保里さんは津市出身で、市内には彼女が命名した「サオリーナ」というスポーツ施設がある。老朽化していた体育館、武道館、プールを集約し、150億円かけて整備した屋内総合スポーツ施設で、令和3年の三重とこわか国体、三重とこわか大会の舞台となる。
インターハイも開催され、東京オリンピックの事前キャンプ地としてカナダの女子レスリングチームを受け入れている。
人口減少への対応は?
人口は平成21年をピークに下がり始めているが、内訳は社会増、自然減。つまり転入者が多い。しかし、名古屋、大阪にも近いので地元を離れてそちらへ就職する人もいるから市としても努力しないといけない。
市内には2つの大学と2つの短大が集積し、その1つに津市立の三重短期大学がある。入学者の出身地を見ると県外4割、県内6割。うち津市内が2割。就職も市内2割、県内4割、県外4割だが、市内に残った卒業生が必ずしも地元の学生ではない。半数以上が入れ替わっている。多くの卒業生に津市で活躍してもらうには、地元での仕事が必要。
それには創業支援や企業誘致しかないということで、中勢北部サイエンスシティのなかにビジネスサポートセンターを設けた。経営支援や相談、インキュベーションなどを受けている。設立のポイントは利用者に「寄り添う」こと。「資金調達はこの機関へこの書類を持って行けばいい」と言われても初めて会社を立ち上げようという人には不安が募るばかり。できるだけ寄り添って丁寧に応じるようにしている。もうひとつは「つなぐ」をテーマにしている。現在、操業している会社もいずれは息子の代へとなるが、息子は「親父のこんな古臭い方法では・・・」と気に入らない。放っておけば喧嘩別れになりかねない。そこで間に立つのがビジネスサポートセンター。今ある企業を次の時代につないでいくのをサポートする。新しいビジネスモデルを生んでいくようにアドバイスしている。既に3件の実績がある。
一方、企業誘致は、これまでのように広大な土地を何年もかけて開発した工業団地を売るやり方には疑問符が付く。企業の足が速くなってきて「増産したいから、どこか適当な工場がないか」といったご希望がある。山を切り開く工場団地の開発では間に合わない。そこで注目したのが空き家となった工場。不動産業並みにアンテナを張っていないといけないが、マッチングしたときはものすごく喜ばれる。なぜなら安価に入手でき、工場仕様の建物だからすぐに生産計画が立てられる。これからの工場適地は山を切り開いた団地ではなく工場跡地の有効活用だろうと思う。
定住化にむけての住みやすさについては?
子育てのしやすい街が基本だ。待機児童をなくすために津市立のこども園を開設し、毎年4月1日時点の待機児童はゼロ。学校関係は年間10億円近くかけて古い校舎を大規模改造している。また中山間部は人口が減っている。美里地区では3つの小学校と1つの中学校を統合して小中一貫校にした。このように子どもたちの教育環境は充実させている。
防災は伊勢湾ヘリポートや公共埠頭に物流の集積施設を設け、海路、空路で物資を運び込み、それを陸路で配送していく体制ができている。沿岸部の避難場所を兼ねて高台公園も設けた。
国や県への要望は?
まず国道のバイパス、大きな河川、それに港湾施設の整備など直轄事業を国にお願いしていきたい。日本の経済を強くするインフラだと思う。東海地方は産業基盤が充実しており投資効果は高い。一方、生活に近いところでは踏切の拡幅工事や市道が走る老朽化した橋の補強や架け替え工事をしている。大きな予算がかかるが国からいただくお金が窮屈な感じがする。それが、河川工事では交付金だったものが補助金に代わり、工期が30年から8年になったケースもある。また、平成24年に国の元気交付金という制度があり地方債と組み合わせて事業費用を捻出した。地方創生で1000億円のお金を地方にばらまいてもうれしくないのでは。中途半端な金額だ。
普段はどのような生活を?
休みは年間6日間くらい。ただ、リフレッシュするために週2日、早朝に市内のジムに行って筋トレやストレッチをしている。市内でも市民マラソンがいくつか開かれるが、そこに参加し、年の数以内に10キロを走破するのを目標にしている。今は57歳だから57分で10キロを走りぬくのが目標だ。過去に何度か達成している。
最近読んだ本で面白かったのは「世界史としての日本史」。作家で歴史に詳しい半藤一利さんと立命館アジア太平洋大学の学長に就いている出口治明さんの対談だ。出口さんは津市美杉町の出身。世界史から日本史を眺めると、日本は無謀なことを多くやってきたと分るのがこの本の面白いところ。
行政の仕事はミクロのことをマクロでとらえていかなければいけない。2500人の職員がいつも市民の声を聞いているが、ひとつひとつそれを実現していくと市政という大きな流れのなかで大切なものを見失ってしまうかもしれない。「世界史としての日本史」ではそれを教えられた。
「勇往邁進」が座右の銘。津市は故郷だから地元の感覚がわかる。3期目になるとつい行政サービスはこの程度でいいだろう、という気持ちになることもある。それを払拭するために言葉にする。行政をどうしたいかを市民に話しかけるようにしている。賛成する市民もいれば反対する市民もいる。それにまっすぐ向かい合ってまとめていくのが行政の仕事だと思っている。
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