御浜町長
大畑 覚 氏 インタビュー
町の特色、お国自慢を教えてください
御浜町長大畑 覚 氏
御浜町の自慢は、みかん、熊野古道、七里御浜海岸、風伝おろし等です。「年中みかんのとれるまち」をキャッチフレーズとする「県下一のみかん産地」の町です。
平成16年に、熊野古道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録されました。御浜町には、横垣峠、風伝峠、そして七里御浜海岸(浜街道)が存在します。
又、尾呂志地区の風伝峠から吹きおろす幻想的な朝霧の風景が、「風伝おろし」として有名です。
私は、この町で生まれ、この町で育ちました。気候が温暖で、自然が豊かで、心優しい人が多く住むこの土地は、非常に住みやすい地域であると思っています。
年中とれるみかんというのは
月々で採れる品種が違ってきます。ハウスみかんが一番早くて2月に花が咲いて6月~8月が収穫期です。露地物は、9月の極早生温州から始まり、年内は、早生温州、晩生温州と続きます。年が明けると、1月~4月は、ポンカン、不知火、せとか、セミノール、甘夏、カラと続き、5月~6月のサマーフレッシュで、1年のサイクルが終了します。このサマーフレッシュという品種は、御浜町だけにある品種です。
産業の中で占める割合は?
御浜町の産業は、農業が主です。水田は稲作で、畑は大半がみかんです。みかん以外では、梅が栽培されています。野菜は、地元で消費される程度です。
一方、人口減で、生産者も減り、約1,000haあったみかん畑が約500haに減り、約1,000戸の農家が約600戸に減りました。
町長2期目ですが?
私が町長に就任した時から、1期目の公約として、「高速道路の早期完成」、「防災の強化」、「若者定住対策」、「かんきつの振興」、「教育の充実」、「高齢者の生きがい対策」の「6策」を掲げています。
平成30年10月から2期目に入り、「地域振興のための観光」を「+ONE」として追加いたしました。
町の自慢の特産品や風光明媚な自然景観を生かして、インバウンドを対象とした観光事業に取り組みます。
具体的には、道の駅の隣に誘致した積水ハウスとマリオットによるホテルのオープン予定に先駆けて、道の駅の駐車場に、観光案内所を建設しています。
又、昨年3月に、近畿自動車道紀勢線の最後の未事業化区間でありました紀宝熊野道路及び新宮道路が新規事業化され、地域の悲願でありました高速道路の紀伊半島1周が、ようやく現実味を帯びてきました。
人口減少に歯止めをかけ、地域経済の活性化させることが喫緊の課題であることを踏まえ、この課題解決に向けて、公約であります重点施策「6策+ONE」の取り組みを着実に実行します。
人口減は?
御浜町が誕生した昭和33年当時は、人口が約13,000人でしたが、現在は、約8,500人です。御浜町は、平成の合併をしていませんので、三重県では小さな町です。
平成2年に過疎地指定を受けましたが、県の果樹試験場移転による跡地を民間が宅地分譲したことで、住宅が急増し人口減少が止まり、平成12年に過疎地指定から外されましたが、その後、再び人口は減少傾向で推移しています。
南北問題は?
県内における南北格差は感じています。
三重県は、南北の距離が長く、県庁までの所要時間は、北の端、木曽岬町からは約1時間、南の端、紀宝町からは約2時間であり、2倍の時間的な距離があります。
又、就業の選択肢が少なく、高校卒業後は、大学進学や就職で、若者が一度地元を離れると、なかなか故郷に戻らない傾向にあります。
そこで、御浜町の場合は、みかん栽培を職業にすることを勧めています。平成30年度に、三重県立紀南高等学校において、「地域産業とみかん」という授業科目を創設していただき、地域のみかん産業関係者の人達が講師となり、授業を行っています。若者に、みかんづくりの魅力を知っていただきたいからです。
観光案内所の設置、観光商品の開発への取り組みも、就業場所を確保するための手段の一つです。
更には、町営住宅建設による住宅の提供、妊娠期~子育て期の支援の充実を図ります。
町単独では限界もあり、県や国への要望は?
地域経済の活性化並びに安全、安心な暮らしに対する取り組みへの支援。
高速道路の早期完成。
県道の未改良区間の早期改良。
海岸への養浜対策。
海岸堤防の未整備区間の早期設置。
みかんの輸出における支援。
観光に対する支援。
紀南病院への医師の確保。
等について、要望しています。
個人的な趣味とか座右の銘は?
趣味は、「カラオケ」です。御浜町は、多くの地区で歌の発表会が多く行われていて、招待されます。
座右の銘は、「一策入魂」です。あれもこれもではなく、決めたら魂を込めてやります。