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伊賀市長
岡本 栄 氏 インタビュー

そもそもどういういきさつで市長になられたのでしょうか。関西テレビのご出身ですね。。

伊賀市長岡本 栄 氏

関西テレビでは、ニュースキャスターとかやってました。関連の京都放送で、京都の生情報番組をサイマルといって衛星放送で日本中に流し、地上波でやっていました。さらに大学の講師も13年勤めました。僕の高校時代の恩師が奈良女子大教授で定年退官して神戸女子大に行ったんですよ。ある日その先生が「うちの学校で話してくれんか」と誘っていただいた。一回きりの話と思っていたら、封筒が届いて一年間の授業予定を組んでほしいと。」授業は、好評で結局13年続けました。

で、市長選に立候補された

僕は若いころ「伊賀地域研究会Be」という会をみんなと作ってました。「Be」とは、ジョン・レノンの「Let It Be」。あるがままにっていう意味です。官に頼らない自立自助の組織をという意味を込めていた。昨年、旧市役所庁舎の保存問題が起きて、自分たちでちゃんとやらないといけないよね、という話になった。文化財的価値が高いにもかかわらず保存活動をやって署名をとってもつぶされてしまうという問題。そこで「これは市長にならなければ」という話になり、同級生とか仲間に担ぎ出されたのです。一生懸命署名活動しても通らなかった保存運動でしたが、市長に就任したらハンコ一つで取壊し中止をする事が出来た。そのときはすでに前市長さんが関連の建物を壊してたから、あのコアな建物しか残らなかったんですけどね。そういう意味で、地域づくりは、住民自身が主体的にやらなきゃダメということを学んだし、私自身も、ある意味、市民活動の中で市長になれたという経過です。

今年1月にこの新しい市庁舎に引っ越して来られたそうですね。

1月4日に引っ越しました。安普請なんですよ。普通は平米45万円ぐらいなんですけど、この建物は35万なんです。ご覧いただいたらわかるように、天井も張っていないですし、市長室にありがちなフカフカの絨毯もありません。旧庁舎は市の指定文化財で、坂倉準三(1901~1969)という著名な建築家が設計されたものです。坂倉さんは1937年のパリ万博の日本館を設計されモダニズム建築の実践者です。ムダを省いた建物と言う意味では旧庁舎の流れを汲んでいるのかも知れません。庁内には、地元伊賀市出身で世界的な前衛美術家の元永定正さん(1922~2011)の美術作品も寄贈され展示してあります。


なるほど、建物全体がおしゃれだしとてもユニークです

市長執務室は上の階の床の金属板がむきだしになっていて工場みたいな感じですね。でも、伊賀ではじめての免震構造を入れたんですよ。

地震と言えば、東海地方でも三重県は台風や大雨による災害が多い所です

伊賀はありがたいことに周りを山で囲まれてるじゃないですか。台風が来たり雨雲が来ても山にさえぎられて直撃することはほぼほぼないのです。地震にしても、南海トラフの震源域から、三重県で唯一伊賀は外れています。そうは言っても、災害への対策は怠りなくやっていきます。

伊賀はたくさんのお国自慢がありそうですね。

伊賀市ってものすごく色々なものがあるんですよ。文化庁の「歴史まちづくり計画」というのがあって、文化庁に計画書を持って行き担当者と協議しながらまとめるんですけど、文化庁に「あんたのところの街は色々書きすぎなんですよ、って怒られました」と職員が言って帰ってくるほどです。歴史的なことでいえば松尾芭蕉の生まれたふるさとですから俳句のふるさとですし、それから忍者・忍術の聖地なんですよ。もうひとつ、今まであまり言ってこなかったので、これからもっと言っていこうというのが、能の創始者である観阿弥(1333~1384)が生まれたのも伊賀なんですよ。室町時代ですね。だから俳句、忍術、能楽といったら、何となく日本文化の基礎になっている。

俳句ブームで松尾芭蕉は小学生でも知っていますね。

芭蕉さんは、忍者説もありますね。50歳ちかくで東北を回る、その費用はどうしたのかという疑問もありますが、忍術・忍者というのは、今風に言うと情報収集員、諜報員であって科学者なんですよね。薬学とか心理学とか。随行の河合曽良(1649~1710)にしても、幕府の役人です。だから、芭蕉を怪しまれないように前に立てて、その土地を調べていくわけです。『奥の細道』は旅のあとにすぐ出版できたわけじゃないんですよ。だいぶ経ってから世の中に出したんです。だから、それは多分幕府に情報をあげて、これは出していいよと言われたので出版できたと、思うんです。三重大の忍者学の先生の中には「芭蕉は忍者じゃない」と唱える方もいらっしゃるけれど、別に断定しなくてもいいわけで、最終的に「芭蕉は忍者じゃなかったね」と言うのもありだし、「芭蕉は忍者だぜ」と言うのもあり得るわけです。そういうロマンがいっぱいあるところですね。

さまざまな文化を育んだ豊かな地域なんでしょうね。

伝統工芸だって今残っているのは伊賀焼。古伊賀の花活けといえば、「億」とかいうプライスのものです。伊賀組紐も伝統工芸として伝わっています。そういうものを現代的にアレンジしていけば可能性はもっと広がると考えています。それから、やはり美味しいものでしょう。伊賀は美味しいものがいっぱいあるんですよ。お米は特Aランクの新潟魚沼産のコシヒカリとよく言うじゃないですか。伊賀のコシヒカリも特Aランクだし、うちも7回連続近く同じランクの特Aランクです。それから、お米がいいということは、いいお酒ができる。市内には蔵元が7蔵あるんです。それぞれ特色のある地酒を造っていて、伊勢志摩サミットの乾杯酒に伊賀のお酒「半蔵」が選ばれて、一時は「幻の半蔵」状態になりましたが、本当に絞ったらすぐ売れちゃう。「義左衛門」とか「芭蕉」という酒もあります。何故美味しいかっていうと、米がいい。水がいい。

水もいい、コメも美味しい、というのは大事な要素ですね

ここは400万年前に琵琶湖が生まれたところなんですよ。今の琵琶湖は滋賀にありますが、地質学的な年代考証では、400万年前は伊賀に「古琵琶」があった。それが地殻変動でだんだん北へ移動したという話です。その古琵琶の底だった時代に積もった粘土が稲作には大変いいと。美味しいお米ができると。水もいいと。で、いいお酒ができる。それからもうひとつ「伊賀牛」も自慢です。

伊賀牛や伊賀肉の看板を多く見ました。

同じ県内ですが、松阪の人がいても「ごめんなさい」と言ってから「一番美味しいのは伊賀牛よ」と申し上げています(笑)。ところが生産頭数が800から900頭ぐらいでしかも地元で消費してしまうのでなかなか全国にPRできないのです。でも、大正時代には東京に3千頭ぐらい出荷していたらしいのですが、今では、飼養農家は11軒ぐらいですね。「肉ってこんなに美味しかったのか!」と思うぐらいのおいしさです。高いお店もありますが、今では「伊賀牛丼」「あぶり丼」という名前で商品化しています。伊賀米コシヒカリ、特Aランクのコシヒカリが三分の二、伊賀牛が三分の一入ってる丼なんですよ。なんで美味しいかっていうと、米が美味しいのと、お肉が色々な部位を切り刻んだ切込み肉というのがあるじゃないですか、切り落としみたいな。あれを使っているから美味しいんです。そもそもこのどんぶりを始めたお店がレシピを公開して伊賀の食堂だったらどこでも食べられるように今なっているんです。

市長のふるさと自慢をお聞きしていると、時間がいくらあっても足りないですね。

例えば、他県や他都市への出張先では「うちの肉はうまいですよ、コメも最高ですよ」と言われることも多いのですが、残念ながら美味しいと思ったことはほぼありません。伊賀はおいしいものもあれば歴史的なものも恵まれているし、見どころ満載。ただ、地元の人は生まれたときからそういうものが普通にあるから、そんなもんだと普通に思っているものですから、お肉ってこんなもん、お米ってこんなもん、お酒ってこんなもんというふうに思っているんですね。

三重県内の各市町はそれぞれ個性的なんですが、伊賀は特にユニークだと感じますね

三重県地図を見ると、鈴鹿山地の東側に降ったら雨はみんな伊勢湾に流れるけど、西側に降ると全部西へ流れて京都からの桂川と、木津川、丹波の方の宇治川と三つが集まって淀川となって大阪湾に流れていきます。だから、東海で三川合流といったら長良、揖斐、木曽でしょう。このへんで三川合流というと桂川、宇治川、木津川なんですよ。だから、やっぱり地形・地勢というのがよくできてて、水の流れに沿って人の流れとか文化の流れっていうのは行ったり来たりするんですよ。だから三重でも四日市から伊勢方面に至る地域は名古屋を中心とする東海文化圏ですね。しかしこの伊賀、名張は京阪神なんですよ。だからその経済の、あるいは文化の交流のベクトルが同じ県内だけど違いますね。少子高齢化とか、あるいは人口減少といった社会的な流れの中で、同じような困りごとの地域が手を取って頑張ろうよという、弱みを補い合い強みを持ち寄ってという総務省の「定住自立圏構想」というのがあります。中心市の都市機能と近隣の農林水産業、自然環境、歴史、文化などの魅力を活用して人口定住を促進しようという構想です。中心市の要件は「その地域において昼間人口が夜間人口を上回ること」で、中心市宣言をして、一緒に過疎対策やりましょうよとか、医療やりましょうよ、教育をやりましょうよと協定を結んでいます。伊賀・山城南定住自立圏推進協議会と称するメンバーは、伊賀市のほか京都府南山城村、笠置町、奈良県の山添村。三府県にまたがっているところがユニークでしょう。

たしかにアクセントは関西弁ですね。

だからそういう意味で本当に文化が違う。東海方面は文化的には関東と同じですから、お正月のお餅って四角いじゃないですか。お雑煮といったらおすましじゃないですか。うちの方は、お餅は丸もち、味噌仕立てです。僕らは「三重にとって東海は善き隣人、京阪神はファミリーです」と言ってます。

産業面ではどうですか。

伊賀市の工業出荷額は県内で5位ぐらいなんです。7千億円ぐらい。で、世界企業が実はあるんです。トルクコンバータ(自動変速装置用製品)を造っているエクセディという会社の工場があります。それと、工作機械製造会社のDMG森精機。あれの主力工場もここにあるんですよ。

交通インフラは?

名阪国道でちょっと行けば名神が北側を走っていて、今度は新名神ができましたね。東西ルートはすごくいいのですが、南北を結びたい。昔から「名神・名阪連絡道を造ろうよ」という動きがあって、国とか県とかに陳情しています。それができると、この地域の流通業とかいろんな工業がさらに盛んになるでしょう。また、伊賀と甲賀つまり三重県と滋賀県が一緒に国に「重要物流道路」として陳情しています。名阪の上柘植ICから新名神の土山ICを結び、さらにもっと先まで延ばそうという計画なんです。その道路が重要物流道路計画になると思うので、少しずつ進展していくかなと。それができると、またいろんな意味で工業が活性化されていくかなと。そして、人口増につながればと考えています。

企業誘致のスペースはもうないんですか。

南部丘陵といわれるところがあって、すでに開発した上野新都市の南側の約20ヘクタールぐらい、とりあえず一期として開発したいと思っています。若い人に住んでもらおうと思ったら、安定した経済収入がないといけない。つまり職場がないといけない。ですから企業誘致というのは重要な施策です。

豊かな文化的遺産を生かして、インバウンドも増やしたいですね。

いつまでも「忍者衣装に着替えてぷらぷらしてね」だけじゃいけません。忍者屋敷があって確かにすばらしいグループが忍者ショーを見せていますけど、やっぱり体験するというのがこれからのポイントです。これからは体験する忍者施設というのをね、まちなかにつくってゲートウェイ機能を持たして見てもらおうと考えています。それがないと、やっぱり外国から来た方も口コミで「あそこはよかった」と言ってもらえないですからね。

宿泊施設はどうですか。

基本的には足りない。しかし、京都・大阪もホテルが足りない状況になってきてますから、関空とかに来た外国人はバスでそのまま一時間ちょっとで伊賀上野まで来て、伊賀上野のホテルに宿泊、翌朝、京都とか大阪観光にまた行くというわけです。だから伊賀上野が場所的にいいのは関空から入り京都・奈良とかを見て、伊賀上野の忍者見て、セントレアから帰途または東京に行くとか、そういう可能性がありますね。それから四日市港の定期観光船の活用とか、すごくポテンシャルがあると思うんです。でも、特に伊賀上野は昔から大きな城下町で、街の人達は行政から庇護を受けてきましたから、辛口ですが、自分たちみずから頑張ろうという意識改革を重ねたら、もっと発展するポテンシャルを秘めていると思っています。

先ほど道路の話もありましたが、県や国への要望はいかがですか。

私は、「自助」を大事にしたい。ないものねだりじゃなくてあるもの探し。それをしっかりと活かして、稼いでいくということをしないと。確かに名神・名阪連絡道みたいに国にお願いをしなきゃいけない部分もある。ただし一部は民間ベースでできないかと。つまり有料道路にしていくとかね。行政に携わる人間の知恵が求められる時代だと思います。

最後に個人的なお話でご趣味は?

僕は昔から上野高校生物部植物班で、植物が好きなんで、そういうものを育てたりするのも好きなんですが、美術も好きなので、近隣の奈良や京都や滋賀の美術館へ行きます。今ホンダのS660に乗っています。軽なんですよね。僕は家族がいませんから、2シートでいいんです。いい車ですよ。

最近感銘を受けた本は。

岡本 バタバタしててあんまり本を読む時間がありませんが、田原総一郎の『創価学会』という本は、面白いことが書いてあるもんだなと感心しましたね。基本的に読むのはドキュメンタリーですね。