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熊野市長
河上 敢二 氏 インタビュー

熊野市のご自慢は?

熊野市長河上 敢二 氏

三重県内には吉野熊野国立公園と伊勢志摩国立公園の2つの国立公園がある。吉野熊野国立公園の方が先に指定されている。熊野市の海岸部のほとんどと、山間部は熊野川流域を中心に国立公園内にある。自然に包まれた地域で、訪れた人はこの景観にまず感動してもらえる。七里御浜という海岸が熊野市市街地の正面から紀宝町まで約21キロ続き、日本一長い砂利の浜辺、砂礫海岸になっている。こうした砂礫海岸の景観に加え市内ではもう1つ海岸景観が楽しめる。それは、伊勢志摩の優しいリアス式海岸と比べて勇壮な熊野のリアス式海岸である。海だけではなく山川があり自然が非常に豊か。

もうひとつの自慢は歴史。熊野市のキャッチフレーズは「神々の故郷(ふるさと)」。日本書紀に熊野に関する記述が2ヶ所ある。その1つが花の窟神社であり、イザナミノミコトを祀っている。日本書紀に書かれているお祭りを今でも、毎年2月と10月に昔から伝わる様式で行っている。

また、神武東遷上陸の場所でもある。日本書紀では神武天皇が荒坂の津に上陸したと記されている。荒坂の津は現在の熊野市二木島町だと言われています。上陸時、海が荒れ、神武天皇の2人の兄が海に飛び込んで海を鎮めたという記述がある。その上陸した地には昔から舟漕ぎ祭りというお祭りがあったが、数年前に高齢化と人口減少で残念ながら継続できなくなった。

また、不老不死の薬で知られる徐福上陸の地でもある。秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて徐福に命じ日本に大船団を送った。国内に徐福伝来の地を謳う地域は20ヶ所以上あるが、熊野市では秦の時代の半両銭が発見されている。
自然景観、歴史の他に丸山千枚田も見どころの一つだ。1,340枚の棚田が狭い急斜地に広がり、その美しさはインターネットなどで日本一にランクされることが多い。
後、自慢するなら熊野の人は優しい。熊野に転勤してきた人が「熊野の人は優しい」っていうほど。


産業面は?

第一次産業と観光業を基幹産業ととらえている。農業ではミカンの産地。御浜町を中心に紀宝町とともに県内一のミカンの産地になっている。全体の収穫量は減っているが、若い後継者が育っているので期待できる。熊野地鶏も飼育羽数、販売数ともにじわじわと右肩上がりに伸びている。

ほかに高菜がある。九州の三池高菜のように色や味付けをせずにそのまま漬ける高菜だが、味はピリ辛。評判はいいが、生産がかなりの重労働で高齢化が進む中で生産拡大に課題が残る。それに獣害の心配もあって、生産量は限られている。漬物にして安定した生産ができれば収入増につながると思っている。

そこで獣害の被害を受けにくく高齢者でも負担のすくない農作業はないだろうか、と探し当てたのが唐辛子。唐辛子は国産のものが少なく、作り始めたら都市部の卸業者やレストランから注文をいただくようになった。現在、試験栽培を終えたところで本格的な販売の準備を進めている。地元の飲食店や土産物店に協力してもらい、辛い物フェアなどを年2回企画してアピールした。今は羅帝とプリッキーヌという品種の栽培が主だが、これから品種も増やしていくよう取り組んでいる。


一次産業で悩みの種はサンマ漁。熊野はサンマ漁の基地だが、この4年不漁が続いており、非常に厳しい状況。推測だが北海道沖の公海で外国漁船が捕獲する影響もあると思う。ボディブローのように利いている。2年ほど前に水産庁長官に原因を調べてくれ、と伝えたこともある。もうひとつ考えられるのは黒潮の動き。黒潮の蛇行などで漁場が沖合から離れ、いい漁場を探し当てにくい。燃料費などの経費がかかり、不漁続きは漁師にとって死活問題と言える。

これでは水産業の先が思いやられるので、海藻養殖や市場の隣に市が建設した加工施設で魚のすり身の加工を行っている。性能の良いすり身の製造機械を使うことで、骨や内臓をきれいに取り除くことができ、滑らかな食感で柔らかいすり身ができる。すり身の製造は漁協に取り組んでもらっている。

そして、漁業は後継者が育っていないという大きな問題がある。総務省の地域おこし協力隊という制度を利用して熊野に漁師をやりたいという人も来た。その人は独立して漁業で生計を立てている。現在いる協力隊は加工施設で加工品製造を行うほか、加工品開発や販路拡大に取り組んでいる。地元からの漁業の参入は少ないため、市外の方の漁業参入を推進せざるを得ない状況。

二次産業では、囲碁の黒石に使われる那智黒石が産出されるのは熊野市だけ。
観光面では、熊野古道が世界遺産に認定され、また高速道路も整備されて利便性がよくなったことから観光集客が増加傾向になっている。高速道路は平成25年度の式年遷宮に併せて整備いただいたので、熊野市では観光施設の整備として鬼ヶ城センターの建替や花の窟のお綱茶屋の整備などを進めてきた。

集客については、スポーツによる効果が大きい。大会や合宿での宿泊客は、私が就任したときは年間3,000人程度だったが、今では3万人に増えた。18万、19万人が集まる熊野の花火大会ほどの規模ではないが、市内に民宿やビジネスホテルがあり合宿での宿泊には対応できるし、施設も増えている。運動公園にはセンター120メートル、両翼100メートルのグラウンドが2面あり、縦横40メートル、50メートルの広さの室内練習場もある。プロ野球の2軍のキャンプ地に使えると思っている。

12月から3月の冬場は観光客が少なく、何とかしようと考えたのが暖かいこの地にスポーツ団体を呼び込むことだった。社会人や学生のソフトボール・チームが全体のスポーツ宿泊者3万人の約7割を占める。ここは高知県並みに暖かく、名古屋からも近いことが人気の要因。昨年はインターハイがあって宿泊者数が4万人を超えたが、毎年3万人は超えるようになった。五輪の代表選手も熊野で合宿をしたことがある。再来年の国体では、成年女子のソフトボールと7人制ラグビーが熊野市で開催される。

一次産業は全国的に明るい話はなく、林業、水産業、農業ともに厳しいが、差別化、ニッチを狙えば期待できる要素はある。唐辛子はニッチだし、付加価値を付ける意味では熊野地鶏の例がある。


国や県への要望は?

道路整備は、観光集客、都市部への輸送での産業振興など、我々の地域にとって非常に大きなプラスの影響を及ぼすため、引き続き早く整備を進めていただきたい。 過疎対策では国からの支援などに頼らざるを得ないのが実情だ。ただ、移住人口は平成27年から100人近く増えている。移住したい人に親身になって相談に乗ってあげることが大切だ。窓口を設けて担当者2人を置き相談体制を充実させている。県の職員と一緒に大阪や東京のふるさとフェアなどにも積極的に参加している。

ご自身の趣味は?

中学、高校時代は野球をやっていた。今はたまにゴルフくらい。座右の銘は上杉鷹山の「なせば為る 成さねば為らぬ何事も」。卒業式や成人式のあいさつでは必ずこの言葉を引用する。