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紀北町長
尾上 壽一 氏 インタビュー

紀北町のお国自慢を教えてください。

紀北町長尾上 壽一 氏

東紀州地域の玄関口である紀北町は、自然と調和した豊かな観光資源と農林水産資源に恵まれ、何度訪れても飽きない魅力が溢れた町です。 なかでも、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている「熊野古道」は、当時の皇太子さま(現天皇陛下)が散策を楽しまれた美しい石畳が残る馬越峠をはじめとして5つの峠があり、癒しの空間の中にいにしえ人の心が息づいています。 ぜひ皆様もこの地を歩いてみてください。そうすることで、通り過ぎるだけでは気付かない雄大な自然を満喫し、ゆったりとした安らぎを感じることができます。 さらに、町内には多くのスポーツ施設があり、豊かな自然環境の中でスポーツを楽しんでくださる皆様をお迎えしております。
自然の豊かさを象徴するものの一つが清流銚子川です。最近ではNHKスペシャルでも取り上げられ、全国的に有名となりました。私の家からもごく近く、子どものころはよくこの川で遊んだりしました。川の特徴として、源流から河口までわずか20㎞と短い川ですが、源流から河口までがきれいなことで、河口では海水と川の真水が合流する場所にできるゆらゆら滞を見れることができます。また、この川にしかいないチョウシガワメリタヨコエビといった新種も確認されました。ほかの川では見ることのできないものが見えるわけです。

※参考 紀北町の歴史
紀北町は日本でも有数の多雨地帯の中にあるため、見事な森林を育成させ、夏は涼しく冬は温暖の地です。伊勢志摩、吉野熊野国立公園の中間に位置し歴史と伝統を誇る町です。古く歴史を遡れば、当地方は志摩国に属していましたが、そのあと全町が伊勢神宮の御領地となっていました。
  南北朝時代には、南朝に味方する勤皇家も多かったのですが、やがてその勢力も衰微し、戦国時代の天正10年(1582)、新宮の堀内氏善の北進によって、当地方一帯は紀伊の国になりました。関ヶ原合戦のあと、紀伊藩主浅野氏が領主となり、元和五年(1619)に徳川頼宣が入国して、徳川御三家と称されました。 今の紀伊長島地区は藩政時代に入ると長島浦は島勝、白、三浦、海野、道瀬、錦の六浦と二郷村、赤羽郷五箇村の七浦六村で長島組を形成しました。特に長島浦は熊野灘を代表する海産物、林産物の集散地、積み出し港としてにぎわいを見せていました。明治22年(1889)町村制の実施にともない長島組のうち、長島浦は長島村、二郷村はそのまま二郷村、十須村・大原村・島原村は合併して赤羽村、海野浦・道瀬浦・三浦は合併して三野瀬村となりました。また、長島村は、明治32年に町制を施行しました。
昭和25年、長島町と二郷村は、当時としては全国的にもまれであった自主合併を行い、さらに同30年に三野瀬村、赤羽村との合併により本町の姿となりました。同45年には町名を長島町から旧紀伊長島町に改称しました。 海山地区では明治4年(1871)には度会県に含まれましたが、同9年(1876)に三重県に編入され、同22年(1889)には、町村改編により、旧 14か村を3か村(船津村・相賀村・引本村)に統合し、同30年(1897)5月、引本村のうち須賀利浦は分村して須賀利村となり、島勝浦も・白浦も引本村から分かれ、島勝浦・白浦を合わせて桂城村が新設されました。同32年(1899)3月、引本村が町制を施行して引本町となり、昭和3年(1928)11月には、相賀村が町制を施行して相賀町になりました。同29年8月1日、引本町・相賀町・船津村・桂城村の4か町村が合併して旧海山町が誕生しました。 平成17年10月11日に旧紀伊長島町と旧海山町は合併し、人口20,831人面積257.01平方キロメートルの新しい町「紀北町」が誕生しました。旧海山町と旧紀伊長島町は、前面(東)に黒潮躍る熊野灘、背後(西)には日本有数の原生林が残る大台山系と豊かな自然に囲まれ、古くからその恵を生かし、水産業・林業などを中心としてほとんど同じように発展してきました。気候、風土、産業、文化、生活様式など多くの面で地理的、歴史的に結びついてきた地域であり、住民間の交流も活発に行われ、日常生活圏においても一体の地域を形成してきました。以前から北牟婁郡を形成し、今回の平成の大合併により再び一つになって歩み始め、紀北町として地域の自立と将来の総合的な発展をめざしていきます。


振興策などはどのようなものをお考えでしょうか。

就任以来、「すべては住民目線で、すべては住民とともに」の基本姿勢のもと、平成29年度にスタートした紀北町第2次総合計画では、まちの将来像を「みんなが元気!紀北町 ~ 豊かな自然、にぎわいと笑顔があふれるまち ~ 」と定め、人、地域、産業、各種団体、活動などすべてを元気にするまちづくりを進めてまいります。元気の源は健康にあり「健康は笑顔をつくり、幸福の基礎となる」の考えのもと、町民の皆様の健康増進に向けたまちづくりを進めています。
そのような中、特に重点的に取り組む4つの重点プロジェクト、「安全・安心」のまちプロジェクト、「健康増進・生涯現役」のまちプロジェクト、「にぎわい・交流」のまちプロジェクト、「子育て・教育」のまちプロジェクトを立ち上げ、将来像の実現のため、積極的に進めております。

災害対策
 2018年は、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震、北海道胆振(いぶり)地方中東部を震源とする最大震度7の「北海道胆振(いぶり)東部地震」や日本に上陸あるいは接近した多くの台風により甚大な被害を受けました。
 本町におきましても7月に伊勢市付近に上陸した逆走台風第12号をはじめ、8月に襲来した台風第20号、9月に襲来した台風第21号、第24号による暴風・豪雨により大きな被害を受けました。
2019年は伊勢湾台風から60年となります。本町は、地理的、気象的に自然災害に対して極めて厳しい条件下にあり、これまで幾度も甚大な被害を受けてきております。
これらを教訓に、地震・津波・台風・豪雨など自然災害に対する防災力・減災力を強化し、日頃の訓練や準備を怠ることなく、常に災害を意識し町民の皆さま方と力を結集して対策を進めてまいります。
加えて、災害発生後の迅速な復旧・復興に向けた体制整備を進めてまいります。

生活環境の保全
 町内の自然・生活環境に大きな影響を及ぼす恐れがある町外からの土砂搬入等の事業活動により、町民は大きな不安を抱えています。この不安を払拭し、町内の豊かな自然や安全で安心した生活を子や孫の世代に引き継ぐための早急な対策が必要であります。2018年6月5日には、町・住民・事業者が自然環境の保全に一体となって取り組み、健康で豊かな生活を築くため「自然と共生の町」宣言を行いました。
 2019年3月には、自然と良好な環境を守り将来にわたる皆さまの健康を保護し安全な生活環境の確保を図るため「紀北町生活環境の保全に関する条例」を制定し、7月より施行されました。
今後、この宣言や条例を規範として環境に関する諸施策を展開し、先人が大切に守ってきた町内の自然景観や環境と調和のとれた生活や産業の振興を継続させるためのまちづくりを議員の皆様をはじめ、町民・事業者の皆様とともに進めてまいります。

世界遺産登録15周年
 2019年は、平成16年7月7日に世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」が15周年を迎えました。今日(こんにち)まで多くの方々に当町を含めた自然豊かな東紀州地域にある熊野古道へ訪れていただきました。
 引き続き、熊野古道をはじめとする地域の魅力を発信し町内への誘客に取り組むとともに、古道の環境整備にも力を注いでまいります。

オリンピック・国民体育大会など
2019年は、世界3大スポーツイベントの1つと言われている、「ラグビーワールドカップ2019日本大会」が、9月20日から11月2日まで国内12都市で開催されました。
 日本代表チームはもとより世界各地から集う各チームの活躍を大いに期待をしているところであります。
2020年には東京オリンピック、パラリンピック競技大会が開催、翌年には、三重県で開催される第76回国民体育大会「三重とこわか国体」、第21回全国障害者スポーツ大会「三重とこわか大会」が開催されます。
「三重とこわか国体」では、正式競技の「ソフトボール少年女子」、公開競技の「グラウンドゴルフ」が当町で開催されます。
町民総参加により、おもてなしの心を持って全国から訪れる方々を温かく迎え入れ、深い感動と大きな満足感を共有できる大会にしたいと考えています。
この大会を機に、これまで以上に町民の間にスポーツを普及し、スポーツ精神を高揚して町民の健康増進と体力向上を図り、人と人との交流や絆づくりを図ってまいります。

健康増進への取組み
紀北町は、県下でも国民健康保険加入者の1人当たり医療費が最も高くなっています。 そうしたことから、健康増進に取り組んでいます。ちょい減らしプラスチャレンジ※やきほく活活体操(紀北町民の健康づくりのために作られたオリジナル体操)の普及、健康ウォーキングマップによるウォーキングの推進などに加え、特定検診や国が推奨する5つのがん検診の無料化、ジムとプールを備えた紀北健康センターの建設を行い、健康づくりに向けた取り組みを行っています

※ちょい減らし+10(プラステン)チャレンジとは
自分の健康をより高めるきっかけづくりとした取り組み。参加者の体力や健康状態に応じて、ちょい減らしたい「食事」に関する目標と、+10したい運動に関する目標をそれぞれ設定し記録する。目標に達した人には記念品が贈られる。


三重県内の南北格差については。

一般論として、三重県は南北に長い地形をしています。北部は愛知県にも近く、人口が集中しており大きな工場が多数存在し、働く場が確保されております。一方、南部は古くから産業の中心は農林水産業でありましたが、農林水産物の輸入自由化などの影響から大変厳しい状況にあります。このようなことから、都市部へ仕事を求めて人口が流出し、南部地域の人口の減少、高齢化が急激に進んできました。
南部の市町でもかつて工場誘致などにも力を入れてきましたが、道路整備、働き手の確保、津波などの問題から、誘致は進んでいない状況にあります。このような状況は、この地域に限らず全国的にみられ、特に、日本全体の人口が減少していく中、この地域のような農山漁村に顕著に現れています。
三重県におきましても、歴代の知事が格差是正のための取り組みを進めていますが、格差の解消はなかなか困難な状況にあります。

県あるいは国に対する地域振興への要望などは。

過疎地域においては、人口減少により財源が減少する中、必要とされるインフラ整備や地域振興策の施策を展開するうえで財源確保が重要となります。
当町は合併し、2町が1町となり合併当初2町分の交付税が交付されていましたが、現在は減額されています。地域振興策を行うにもその財源がないのが現状であることから、自由に使える地方の財源の確保対策をお願いしたい。

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